猫奇伝
    魔性の動物…「猫」の秘密
  
     
   可愛いだけが
  猫じゃニャィ!
















猫のトリビア

ここでは、あまり知られていない猫の雑学を紹介したいと思います。



猫と養蚕

かつて日本の近代化を支えた製糸業は、明治〜戦前時代にそのピークを迎えました。
その歴史はかなり古いもので、稲作同様弥生時代からといわれております。
産業として盛んになったのは江戸時代で、この時代に飛躍的に養蚕の技術が発展しました。
 
  そんな中での猫の役割は、大切な蚕の天敵である鼠を捕らえる重要な労働力の一つでした。
左の絵は当時盛んに描かれた養蚕錦絵ですが、傍らに猫が描かれているものが大変多く残されております。 

また養蚕の神様としての信仰も生まれ、各地で『猫神様』が祀られるようにもなりました。


  その一方で猫がたやすく手に入らなかったり、猫が肝心の蚕にちょっかいを出したりすることがある為、その代りのものとして『猫絵(鼠除けの絵)』というものが生まれました。
 これは本物の猫の代わりに、絵に描かれた猫の呪力により鼠対策をさせるというもので、当時はかなり重要視されていたようです。
←左の絵は、当時の養蚕作業の様子が描かれた錦絵ですが、片隅には『猫絵』が飾られております。 




猫絵
     
個人蔵    個人蔵
     
     
個人蔵    個人蔵 
     
     
宮城県南三陸町     



猫好きで有名な浮世絵師、歌川国芳も猫絵を残しており、
一説には描かれた猫は国芳の飼猫だったのではと云われてます。
 この作品は遺存数が少なく、実際に家内に貼られて扱われた為ではないかとも
云われているものです。
 
『鼠よけの猫』

この図は猫の絵に妙を得し
一勇斎の写真の図にして、
これを家内にはりおく時には、
鼠もこれを見れば、
おのづとおそれをなし、
次第にすくなくなりて出る事なし。
たとへ出るとも、いたづらをけつしてせず、
誠に妙なる図なり。
 


  こちらは、江戸後期に楊洲周延により描かれた
『衣襲明神之像 鼠よけ猫』です。

富山の薬売りが得意先へ、おまけとして配ったものと云われております。




新田猫

猫絵の中でも、もっとも有名で呪力があるとされたのが『新田の猫』『八方睨みの猫』『万次郎の猫』などと呼ばれる猫絵で、江戸後期、埼玉・群馬両県の養蚕農家の間で重宝されました。
 作は岩松新田の代々の殿様で温純(義寄、1738〜98)、徳純(1777〜1825)、道純(1797〜1854)、俊純(1829〜94)の四代にわたる殿様でした。
同じように見えても印刷ではなく手書きの為、少しづつ斑等に違いが見受けられます。

また安政開国以来、日本の蚕種の輸出にこの猫絵を添えて出したところ、海外ではこの絵が鼠除けのものだとは知らずに、珍しい墨絵の猫の写生画ということで美術品扱いされたそうです。
作者の後裔が明治になって男爵位を授かった事から、『バロンキャット』と呼ばれました。

温純(あつずみ)作
 
個人蔵  群馬県立歴史博物館蔵 
   
徳純(よしずみ)作   
   
群馬県立歴史博物館蔵  日本絹の里所蔵 
   
  大田市立 新田荘歴史資料館蔵 
   
   
招き猫亭コレクション    
   
道純(みちずみ)作   
   
雲越家住宅資料館蔵 個人蔵 
 
   
個人蔵   富岡市立美術博物館
『蚕の神さまになった猫 』展より
   
   
  招き猫亭コレクション 
   
   
招き猫亭コレクション   個人蔵 
   
俊純(としずみ)作   
個人蔵  個人蔵 
   
群馬県立歴史博物館蔵  個人蔵 (本の表紙より)
   
   
個人蔵   
   
作者不明  
   
招き猫亭コレクション    
※招き猫亭コレクション→山形県ゆかりの愛猫家『招き猫亭夫婦』が、およそ40年をかけて収集した猫アートコレクション。





江戸時代の猫関連の商い
江戸時代には、なんとも変わった猫に関する商いが存在しておりました。


◆猫の絵かき◆
  養蚕に関しての猫絵については上記に記したとおりですが、左図は明和安永頃の時代、市中を歩き回り『鼠除けの猫絵』を描いたとされる人物の様相を描いたものです。


◆両国猫う仏施◆
  なんとも異様なその姿。総勢五人内四人が猫の目鬘をかけ、一人は普通の姿で「ねこう院仏しやう」と歩き回ったそうです。

「にゃんまみ陀仏」の念仏を唱え鉄鉢の代わりに大鮑貝を差し出し、人々が賽銭を入れると「おねこ!」と高く叫び、地面に長い小杖を突いて「にゃごにゃごにゃご」と言ったとか。

『門付け芸』と言えば聞こえは良いが、いわゆる『物貰い』の一種で姿形が面白いので話題となるが、嘉永年間に回向院からの苦情により指し止めになったそうです。

↑上記2絵は江戸風俗画研究の第一人者である故三谷一馬氏によるものです。
様々な資料により、詳細に再現彩色をされております。


◆山猫まわし◆
  別名傀儡師(かいらいし)と呼ばれる大道芸の一つです。
街中や座敷などで人形廻しをしました。一人で何体もの人形を操り、セリフ混じりの芸を見せました。 
山猫廻しの語源は、毛皮でこしらえた鼬の人形を操ったのが猫に間違われたからとか、道端の子供らに「ヤンマンネッコ(山猫)にマンカンショ」と歌って戯れたからだといわれております。


◆見世物◆
  猫と鼠の芸。
 


◆猫八◆
動物の鳴き声等を真似する、現代にも伝わる有名な大道芸。
猫八の『八』は八人芸と同じく、多くの動物の鳴き声を真似する事からである。


◆猫の蚤取り◆
1837起稿の「守貞漫稿」(江戸時代の風俗誌のようなもの)生業の部によると、その時代「猫の蚤取り」が商売として成り立っていたという記述があります。

 風呂敷を肩にかけ「猫の蚤取りましょ」と大声で呼んで廻ったという事です。

そのやり方は、
☆猫をお湯で洗う→獣の皮で包んで抱く→蚤が狼の皮に移動→大道に振い捨てる

一回二文だったそうですが、残念ながらあまり長くは続かなかったそうです。
宝永元年から天保末の時代と言われております。





猫の捨て場

江戸時代の猫は、一般家庭の間で愛玩用、そして鼠を捕る家畜として大切にされた一方で、ある場所に於いては「猫の捨て場」というものも存在しておりました。と、いっても、決して今でいう保健所的なものではありません。

 江戸城内、庭園の池では様々な観賞魚が泳ぎ、小鳥を飼う大奥達も少なくありませんでした。そんな魚・小鳥に害をなすのが、広大な城内に住み着いた猫・鼠・鼬・蛇等でした。当然罠を仕掛け駆除するのですが、捕獲された動物達は殺処分にはされず、それぞれ所定の場所へ解き放たれたという事です。

 猫の場合は佃島へ捨てられました。中には帰巣本能で戻る猫もあったのか、佃島へ運ぶ間は決して外の景色を見せなかったといわれております。

それぞれ動物達は何故殺処分にされなかったのか・・・?
歴史学者である氏家幹一氏によると、『殺生の結果、猫や鼠が妖怪と化して害をなすのを恐れたからではないか?』とのこと。今と違って祟りや迷信がまだまだ息づいていた時代、無駄な殺生を避けるという良い意味での宗教心は是非とも見習いたいものです。




猫と佐渡おけさ

「♪はぁ〜佐渡へ〜と〜」
民謡の中でもかなり有名な『佐渡おけさ』・・・
そんな『佐渡おけさ』にまつわる、猫の哀しい伝説を御存知ですか?
もちろん諸説ある内の一つですが・・・。



昔々、新潟県小木町の港に大変猫好きなお婆さんが住んでいました。
若い頃には家も豊かで数十匹の猫を飼っていましたが、歳を取るにつれ生活も苦しくなり、猫も年老いた三毛猫一匹だけが残りました。
 老婆は自分の食べるものを節約し、その猫を我が子のように可愛がりましたが、暮らし向きはますます傾き、とうとう猫に
「もう食べさせる事が出来ないから、どこかよそへお行き」と言い聞かせました。

それを聞いて姿を消した猫・・・しばらくすると若い娘が老婆を訪ねて来て
「私はお世話になった三毛です。恩を返しに来ました。今江戸の人買いがこの島へ来ています。どうか私を売ってそのお金で楽に暮らして下さい。」と、泣いて頼むのでした。

まもなく、江戸深川に『おけさ』と名乗る遊女が現れた。
美しい上に声もよく、江戸では珍しい唄を歌うという事で有名となり、この唄が誰言うとなく『おけさ節』として流行したとか・・・。

これが後に有名となる『佐渡おけさ』の、諸説あるルーツの一つだと言い伝えられております。


物語は続きます・・・。


ある晩客となった男が、夜中怪しい気配に気付き薄目を開けると、行燈の灯影が妖しく揺れ「ピチャ・・・ピチャ・・・」。
男は思わずギョッとして女を見てしまった。
「見やんしたね・・・見てしもうたね・・・。」

男は度胸を決め
「おう!・・・みっ、見たともよ!」というと、
女は静かに語り始めました。
「実はわたしは・・・」

女は身の上話を一通りした後で、泣いて頼みました。
「どうかこの事は、人様に話さないでください」と・・・。


翌日、男は出帆した。
退屈な船内、世間話に花が咲き、男はうっかり昨日の事を話してしまいました。
すると今まで静かだった海面がにわかにざわめき始め、黒雲が立ち込め暴風となりました。
突然の嵐に海の男達も肝をつぶしていると、吹きすさぶ風の唸りをつんざいて鋭い絶叫が!

声のほうへ駆け寄った海の男たちが見たものは、
今まさに黒雲に跳躍するとてつもない大猫と・・・
四肢を八つに裂かれた男の惨死体であった・・・。

尚、『おけさ』という女の名は『おきいさん』という名を越後弁に訛ったものという・・・。




猫の喰人

大正後半から昭和初期頃、愛児を失ったドイツの学者はその遺骸を埋葬せずに、密閉した部屋に猫と一緒に入れて、猫が人間の死肉を食うかと云うのを確かめる実験に用いたそうです。
水以外何も与えられなかった猫は、最初は見向きもしなかったものの、数日後にはついに喰い始めたそうです。
学者は、飢えると猫も人間の死骸を喰う事を確かめ得たが、人道に反するという世間の非難は免れなかったという事です。

それにしても、あまりにレベルの低い実験?ですね。実験の意図が全くわかりません。




猫の捕鼠まじない

『描いた猫が鼠を捕らえる法』というのが、中国のまじない本に紹介されております。
方法は…「樟木に猫の形を刻みます。それに赤鼠(俗に鼬といいます)の小便で色を調合し、
猫の体を描いて室内に置きますと、鼠は逃げていきます。』…という事ですが。
中国符呪秘本より

子供の頃に『ガンバの冒険』という鼠達を主人公としたアニメがあり、その敵役として『ノロイ』というイタチが出てきました。
そう考えると、確かにイタチは鼠の天敵でもあり、その匂いの強烈な小便を使用すれば、鼠除けには効果がありそうですね。猫の姿を描くのは、日本の『猫絵』に通ずる完全な『まじない』的な考えからでしょう。
ただ『描いた猫が鼠を捕らえる法』というのは、今の時代なら誇大広告でしょうか。


それではここで、いくつかの猫に関する『まじない』を紹介致しますが、
これらはまだ科学も医療も未発達の時代の内容です。
決して実行しないよう、くれぐれもお願い致します。


猫一切の妙薬
昔の飼猫が病気になった時にはマタタビの粉を舐めさせたものだが、最近の猫はマタタビを知らない。そこで薬種店より烏薬をもとめ、よく粉にして飲ませると平癒する。
(烏薬→クスノキ科のテンダイウヤクの根を乾燥したもの)
神霊まじない秘密奥伝より

鼠の小便の眼に入りたるを治するまじない
猫のよだれを取り、これを眼の中へ差し込めばよろしい。こうしておけば決して障りはない。
神霊まじない秘密奥伝より


声を美しくするまじない
小指半分ほどの猫の糞をオブラートに包んで飲む。
かん蟲封じ秘書より


鼠に噛まれたる時のまじない
猫のよだれを傷口へ塗りつければ良い。猫のよだれを手に入れるには、まず飼い猫の居る家にいって頼み少量の生姜をすりおろしたものを持参し、猫の口へ塗ればダラダラとよだれを垂らすので訳なく入手できる。
かん蟲封じ秘書より


猫に噛まれたる時のまじない
薄荷(はっか)を搗いて(臼でついて)汁を取り、それを塗り付ければよい。
かん蟲封じ秘書より


鬼舐頭(円形脱毛症)を治すまじない
仔猫の糞を焼き、陰暦12月の猪油で練り合わせて患部に塗る。


狂人を治する法
黒猫の頭を黒焼きとし、本人に知らしめずして一週間、本人の体に振り撒く。
神霊まじない秘法伝より


鼠に噛まれたるを治す秘法
充分に乾きたる猫の糞を粉にし、これを姫糊にてまぜ、噛まれたる局部に塗る。
神霊まじない秘法伝より





文明堂のCM

「♪カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂〜♪」子供の頃からなれ親しんだこのメロディー。
『文明堂小劇場』と題された舞台で、元気良くカンカンダンスを繰り広げる操り人形の仔熊達…最後に尻尾を立て、プルプルと震わせるのがとっても可愛くて印象的な作品な訳ですが・・・。

(あれ?熊にあんな長い尻尾が有ったっけ?)

そうです。実はあのマリオネットは、当初「キャンキャンキャット」という『猫』のつもりで制作したため、その名残が 今もクマのしっぽに残っているとの事です。

余談ですが子供の頃は、三時のおやつにカステラなんて夢のまた夢でした。贈答品で頂いた時などは、カステラについている『薄紙』までしっかりこそげ取って食べた記憶があるのは私だけでしょうか?(いまでもあの部分が一番美味しいと思っている。)








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参考文献
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山田実(1961)『画報 伝説と奇談 第10集号 北陸編』日本文化出版社
渡部義通(1968)『猫との対話』文藝春秋
李隆編(1975)『まじない 中国符術秘本』香草社
井上善次郎(1977)『まゆの国』埼玉新聞社
岡田章雄(1980)『日本人の生活文化史1 犬と猫』毎日新聞社
平岩米吉(1985)『猫の歴史と奇話』池田書店
板橋春夫(1988)『民具マンスリー 21巻7号 群馬 新田猫と養蚕』神奈川大学日本常民文化研究所
伊藤清司(1989)『ふるさとの伝説9 鳥獣・草木』ぎょうせい
三谷一馬(1995)『江戸商売図絵』中央公論新社
落合延孝(1996)『猫絵の殿様 領主のフォークロア』吉川弘文館
三谷一馬(1996)『彩色江戸物売図絵』中央公論社
太田記念美術館(1997)『特別展 UKIYO-E DOG&CAT』太田記念美術館
小島瓔禮(1999)『猫の王-猫はなぜ突然姿を消すのか』小学館
神坂次郎(2002)『猫男爵 バロン・キャット』小学館
竹内誠(2003)『図説江戸5 江戸庶民の娯楽』学習研究社
錦谷雪(2005)『絵入 川柳妖異譚』三樹書房
宮尾興男(2008)『図説 江戸大道芸事典』柏書房
国際浮世絵学会編集委員会(2006)『浮世絵芸術 第152号(会誌)』国際浮世絵学会
氏家幹一(2009)『これを読まずに「江戸」をかたるな」祥伝社黄金文庫
光田憲雄(2009)『江戸の大道芸人-庶民生活の共生』つくばね社



参考サイト

文明堂  
http://www.tokyo-bunmeido.co.jp/

VR浮世絵展示室 養蚕の浮世絵
http://www.biblio.tuat.ac.jp/vr-museum/ukiyoe.htm












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